暖かい、家であった。
屋根が暖かい。窓が暖かい。
柱も、梁も、断熱材も、設備機器も――。
真冬の隙間風すら暖かい。
亀崎の家。暖かい名前である。
「ぬうっ!?」
その家に足を踏み入れた途端に、我知らず、男はうめき声をあげていた。
男の名は天草。かの天草四郎時貞の子孫にして、天草家第十六代目の当主である。
とは言えかつての隆盛は今の天草家には無い。徳川の世を生き延び、明治、大正、昭和と、かろうじて家名を繋いできただけだ。
天草の名と業も俺の代で終わりか。忸怩たる思いを男は抱えていた。
その天草は目下のところ気密測定士を生業としている。今日も測定師として件(くだん)の家に足を踏み入れたところで、思いかけず凄まじい気配が彼を襲ったのだ。
それは天草がこれまで経験したことのない類いのものであった。
なんなのだ、この凄まじい『暖かさ』は……。
「気が付いたかい?」
突然の声。振り向いた視線の先で、天草を待ち受けていた男がにやりと嗤った。
頭頂部を逆立てる奇妙な髪形をした、愛想と恰幅の良い男。
かつて、この奇妙な髪の男は佐藤と名乗った。だがおそらく偽名だ。天草がいくら調べても佐藤の素性は杳(よう)として知れなかった。本人は平安時代から続く陰陽寮の末裔だと嘯(うそぶ)いているが、眉唾ものだろう。
天草はこらえ切れぬように問うた。
「何をした?」
「何も」
佐藤は答えた。
「技さ、技術だよ。これは神秘の力でも何でもない」
「技術だと?」
「全館空調さ」
「――――」
天草は歯噛みをしながら食い入るように室内を見つめた。うろうろと野生の獣のように部屋の隅々を徘徊する。低い唸り声が漏れ出ていることすら自覚が無かった。
出来るのか。
そう思う。
家のいたるところが、これほどまでに均一に暖かく保てるものなのか。
窓も、壁も、床板までもが暖かい。
そんなことが出来るのか。
人間にそんな事がやれるのか。
やれるのだと、佐藤の物言わぬ笑みが答える。
出来るのだと、足元の暖かな空気が叫んでいる。
膝が、がくがくと震えていた。
何か、凄まじいものが、背を駆け上っていく。駆け登って脳天に突き抜ける。
「あひゃららあぁ!」
天草は喜びを抑えきれずに咆哮した。
たまらぬ家であった。その様な事が出来るとは。
では俺は。俺は一体なぜこの家に招かれたのか。この様に凄まじい家に、なぜ。
「分かるかい、天草さん? いや、あんたなら分かるはずだ」
佐藤の双眸に妖しい光が宿る。
そう問われ、天草の常人離れした感覚がその痕跡を微かに捉えた。
空気だ――空気が、流れている。
空調ではない、換気ではない、妖しい隙間風が流れているではないか。
天草は呻きを止め、にやりと嗤った。
なるほど、これは俺の仕事だ。気密測定師の仕事だ。
つまり目の前の佐藤と名乗る男も、始めからそのつもりだったのである。
「やろう」
「やろう」
そういうことになった。
※参考文献 夢枕獏 著 『陰陽師』、『餓狼伝』、『闇狩り師』
※※この作品はフィクションですが、実在の人物や建物などにそこそこ基づいています。ご興味のある方はホームページよりお問い合わせください。
Y.KONDO